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小説を書く上で必要なひとつのこと

 なんつーか、ネットが普及して「小説」の意味が変わってきてしまっている気がする。

 「妄想」と「小説」は違うのだよ。
 渋谷の交差点のど真ん中で拡声器で叫びたい気分だ。


 たしかに小説の始まりはほとんど全てが「妄想」からスタートしている。でも、それを生のままで出すとよくない。「こちら気まぐれシェフのサラダです」と言われて丸ごとレタスを出されても気まぐれすぎて困るのではないだろうか。妄想をそのまま文章にして出す、というのはそういう状態である。もちろん飢えた人の前で調理するのは野暮だからホモォな感じの人たちは丸ごとレタスをかじっていてもいいと思うし、その状態で満足ならそれでもいいと思う。

 でもせっかく看板掲げて小説書くのなら、きちんと調理した料理を出そうよとは言いたい。それでは「妄想日記」と「小説」をどうやって見分けるかというと、割と方法はカンタンである。

 書いた作品を、友人に見せて批評を聞きたいと思うかどうか。

 それに尽きる。もちろん「面白かった」以外の感想は受け付けないというのではない。いわゆる「ツッコミ」を受けて直せる自信があるかどうか、それが大事だと思う。できれば現実世界で関わりのある文芸に理解のある人に見せるのが良い。ネットだと批判だか何だかわからない感想であんまりよくないと思うし、結局バーチャルな感想だからイマイチ骨身につかない。実際に聞いたほうが最初のうちは勉強になると思う。

 小説を書くということは人間の内面を覗くことに近いと思う。自分一人の内面を映していたのでは、決して面白いものは書けない(たまにそういう人もいるけど、そういう人は化け物レベルの天才だから自分を天才と思い込むのはよくない)ということを自覚して、誰かの意見を聞き入れることが大事であると思う。「あ、そういう視点もアリか!」とその作品の手直しをしたり、次回作に生かしたり、そういうことが出来なかったり傷ついていたりするということは「妄想」を否定された、と悲しむことに他ならない。

 人間ひとりひとりには価値があるんだろうけど、自分に価値があると思っている人は基本的につまらない。つまらない人が書く文章が面白かったためしはあんまりない。つまらない人間はどうすれば面白くなるか? 多角的に人生を見つめなおすことが必要だろう。人生の側面をひとつで決めないで、いろんなものに触れてから「小説」を書いてほしいし、「妄想」のままで終わらせているのを「小説」と呼んで満足しているのもくだらないことだと思う。せっかく面白い才能があるのに、ヌルいネットの世界でぐだぐだしている人を見ると歯がゆくて仕方がない。

 あと、批判するのは批判される覚悟がある奴だけだと思っている。ネット安全圏でグチグチ言ってるのは基本的に批判じゃなくて愚痴だからスルーしましょう。そういうスキルを身に着けてからなら、ネットの批評を聞くのもいいんじゃないかなぁ。

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テーマ : 物書きのひとりごと
ジャンル : 小説・文学

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