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かけ算の順序とか数学の問題じゃないし

各地で定期的ににぎわっているかけ算順序問題。
数学は「a+a=2a」でつまづいた自分が言うのもなんだけど、
一応見解を置いておこうと思う。

ただ、数学的な問題ではなく、実際に小学生に教えるとすればという視点です。
数学的な解説を求めていたらガッカリします。



①「3個が4つと4個が3つが違うのはおかしい」

自分が昔に実際に読んだかけ算の本にはこう紹介されていた。


前提「家族にりんごを3つずつ持って帰ろう」

男の子「僕は5人家族だから3×5だ!」

女の子「私は4人家族だから4×3ね」

先生「それじゃあ3人家族に4個ずつになってしまうよ」

女の子「あら、前と後ろに意味があるのね」


こんな感じでアッサリ紹介程度で終わっていたし、
話が進めばすぐに「前後を入れ替えても答えは一緒だ!」と気が付く。
大人ならばある程度話が通じるが、問題は相手が子供だということだ。

これを10年も生きていない子供に教えるということは相当のことである。
もちろんすぐに理解する子もいるだろうけど、理解できない子もたくさんいると考えられる。

単純に、この時期の子供は年齢的に「抽象化」ということができない。
(自分はできた!というのは大体自意識過剰か気のせいです)
実際に指で数えられない数を計算するのは小学校中学年になってから。
それまでは目に見える数が全てで、足し算をするときも頭の中にりんごを思い浮かべている状態。
このくらいの子供が「たくさん持ってる=百万枚持ってる」という言い回しをするのも、
「百万」という数が実際にどのような数かわからないから「とりあえずたくさん」くらいの意味で使っている。

さて、目に見える数が全ての世界の子供たちにとっては上記の本のように
「3個が4つと4個が3つ」はまず現象としてイコールにならない。朝三暮四の猿と一緒である。

この操作ができないということは、まず理解が追いついていないと考えるほうが妥当ではないのか。
「数字?適当に並べりゃいいんだろう?」とやってしまえばこれは後々苦労する。
最初に「意味は違う」と教えてから「でも結果は一緒だね、面白いね」と持っていくのがスマートだと思う。


ちなみに自分は「どっちも一緒じゃん」と深く前後を考えていなかったので「割合」でつまづいたのでした。


②「答えが合っているのに×というのは不条理だ」


この問題は多かれ少なかれ、小学校の学問全体に関係してくる話で、
何故×になるかというとただ「交換法則を習っていないから」に集約される。

小学校という世界は大人の世界と違う不思議な世界で、
確かにそこにある現象も「習っていない」ということでなかったことにされる世界だ。

例えば名前の漢字。習った漢字しか書けないということで
「すず木けん一」とか漢字かな交じりのアヤシイ名前になったりする。
もちろん、これにも根拠がないわけじゃなくて
しっかり学習する前に自分で独学で身に着けたものは間違いを訂正するのが困難というところにある。
たまに微妙に漢字が間違っていることを指摘すると「母はいつもこう書いていた」という人がいる。
学校の書き方が全て正しいわけではないが、明らかに間違っているものは困る。
それをある程度統一しているのが小学校の教育なのだけれど。

かけ算も単に「交換法則は習っていないから×」にしている先生もいるかもしれない。
先生としては最初に「式の前と後ろに意味があるのですよ」と教えたいところでも
「塾でそんなの関係ないって言っていたので先生はうそつきです!」とか子供が言い出したら
とてもではないが授業にならない。



③「正解に×をつけると算数嫌いの子が増える」

なんか、この理屈が一番好きじゃなくてこんな記事を書いている。
それこそ「根拠は?」と問いたくなる。

正直、算数嫌いは別に×をもらったから嫌いになるわけではない。
×をもらうのが嫌だから勉強をしないのであれば、それは何の教科でも一緒だ。

例えば数年前の社会で「鎌倉幕府は1192年じゃなくて最近の研究では1185年です」と書いたり
例えば数年前の理科で「冥王星は惑星と定義するのが難しい」と書いていたら
先生はもちろん×をつけるだろう。

それが今では「正しい」と思うことでも、教科書通りに解答を書くというのが小学校の勉強。
まず大人が「こうだ」と言ったことを「こうだ」と繰り返すことが大事であって、
「こうだ!」に対して「嫌だね!」というのは通用しない。

それが義務教育のあるひとつの目標でもあるし、「嫌だね!」がしたければ高等教育に進むしかない。

意外と「人の指示通りに動く」というのは大事なスキルで、
例えば仕事で「取引先からこういう指示が来たのでやってくれ」と企画を渡された時に
「この企画ではダメなので僕が考えた案でやりました」と言って喜ぶ人は、まずいない。
「指示通りにしましたが、こういう改善案がありましたがどうでしょう?」が正しい大人の対応。

もし「×をもらって萎縮する」ような子がいるのであれば、萎縮させる環境が悪いと思う。
これが入試や重要な成績判定に繋がるのであれば考えるところだけど、
「教室は間違うところです」を実践する格好の場ではないだろうか。

何故×をもらったのか先生と話し合ったり、自分で本を読んだりして
そうやって「学び」って培われていくと思うのですが。



※以上が建前だけど、それができる小学校教師ばかりだったらこんなに大問題になっていないというのが不条理。


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テーマ : 算数・数学の学習
ジャンル : 学校・教育

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