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その1「自由について」

「何か書こう」と思って身構えるから、書くことがないんだと思う。
よって「最初に時間を設定して、その間に適当に考えながら文章を書こう」という試み。
出来る限り継続していきたいなぁ。


で、何を書くかは何も考えていない。

多分言いたいことは山のようにある。
いや、ヤマは地球上にある存在だから有限だ。宇宙の果てより果てしなく存在しているはず。
書こうと思えば何だって書けるはずなのである。僕らは自由だ。

でも、書くことが思いつかないということは不自由なことである。
「自由」っていう言葉はよく素敵なこととして扱われるけど、全くそうは思わない。
むしろ、ある程度の規則や拘束があってこそ「自由」が生きてくるのだと思う。

スイカに塩をかけると甘くなるし、甘い卵焼きには塩が入っているものだ。
甘い自由な人生をおくるためには、ちょっとしたしょっぱさが必要なのである。


むかし、こんなコピーを書いたことがある。



これは「絵を描く」というより、いつも「作文の時間」に感じていた違和感なのである。
あれも書こう、これも書こうと原稿用紙を何枚も使って丁寧に表現しようとしていた人間には、
「なにを書いたらいいかわからない」人間の気持ちはなかなか理解できなかった。

ある程度年齢を重ねることによって、彼らは「書く技術」がないのではなく、
「書く題材を指定できない」ということがわかった。

目の前にりんごがあるとして、それを

「りんごがある」
「赤いりんごがある」
「おいしそうな赤いりんごがある」
「パパからもらったおいしそうな赤いりんごがある」
「優しかったパパからもらったおいしそうなりんごがある」


適当な形容詞を付けていくだけで物語も現実もより色鮮やかになっていく。
書くことができないのは、目に映るものを言語化できていないということ。

人が好きだということも、「付き合ってください」と言わなければ「愛」ではないし
どれだけ暴言を吐かれても、それが傷つける言葉だと知らなければ人は幸せなのである。


ここで10分。
ノープランの割には結構書けたかも。
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