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人形師の憂鬱

父は人形師だった。
父は母も僕も愛していた。



ある日父は僕をモデルにした人形を作った。
それきり、僕と母の元から永久に去った。
人形が父を連れて行ってしまったからだ。


僕は人形を憎んだ。


僕は僕の人形を超える人形を作りたかった。
そして父を超えたかった。



しかし、僕は父になれなかった。


幾人の女が僕のために人形になった。
しかし、僕は僕を超えることができない。
それほどまでに僕は美しく、どこにもいなかった。


僕は僕になることすらできないのに、時ばかり過ぎて行った。



いつしか僕は父を超えたと誰かに言われた。
僕の作る人形は美しいと、誰もが褒め称えた。

でも僕の心は人形に閉じ込められたままだった。
かつての父のように。



閉じ込められていたのは、狂おしいまでの慈愛。
ガラス玉に浮かぶ憐憫。
創造主こそが孤独の存在。
人形たちは僕を見て笑う。


やっと見つけた僕が笑う。

それを見つけて僕も泣く。

現世の僕は僕を抱いて

僕をズタズタに引き裂いた。





現代版源氏物語を創ろうとしたつもりが何故こうなった。

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想像力と創造力の違い

例えば、作品を作ることを「山の幸を使ったおいしい料理コンテスト」だとする。


そこでの「創造力」とは、「おいしい料理を作る」ことだと思う。

キノコはこのくらいの大きさにして、バターと醤油は相性がいいから使おうとか

ぜんまいはこのくらいのサイズに切ろうとかゆで時間は短くとか

そういう作る過程が「創造」だと思うのね。



そんで「想像力」のほうは「材料を調達するために山の幸を見極める」ことだと思う。

木の上のほうにおいしいキノコがあるとか、この木の実は食べられるとか

この葉っぱはお酒になるからとっておこうとか、そういうこと。


それは知識じゃないのか? と思ったらちょっと違う。

要は「食べられる」ということを明確に頭の中で再現できるか? ということだと思う。

キノコが食べられるのは誰でも知っているけど、それを山の中で探すのは大変。

「この辺にあるんじゃないかな」と見当をつけないと特定のキノコを探すのは難しい。

「このキノコは食べられる」という知識だけあっても、実際に体を動かして探すためには

最低限の想像力が必要になってくるわけ。



簡単にまとめると


「創造力」 = 材料を料理する力

「想像力」 = 材料を判断する力


つまり、想像力がないと創造はできないわけなんですよ。

だから常日頃材料をストックしてある人は何を料理させてもおいしい。

ところがコンテストが始まってから食材を探しに行く人は、料理も手際よくできない。

でも材料を自分で探すのが面倒くさいから適当にフライパン振って料理した気になっている。



目の前の人の気持ちもわからないで、小説なんて書けっこないんですよ。

小説書きたい人は、常日頃感情表現に敏感であるべきですよ。

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