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芦野温泉

いやね、ほんとカボチャばっかり育ててるわけじゃないんだよ。



この前の土曜日、栃木の芦野温泉に行ってきました。
http://www.asinoonsen.co.jp/


「薬湯だ」「phが9.8だ」などと前評判は聞いていましたが、
実際に入ってみないとわからないことたくさんありますね。



【入ってよかったこと】


・本当にツルツルになったような。
実際に温泉がアルカリ性ということもあり、季節の変わり目にできる湿疹もこれで解決しました。
皮膚が削り取られている感じ。いやぁアルカリ性様様です。


・血行がよくなった。
おそらく私は末端の冷え性にならないで、血行が悪い部分がみーんな肩に集中しているんじゃないかと思うのです。
そんな私でもしばらく肩がホカホカになりました。最高です。


・シャンプーの種類が豊富
温泉に備えてある「炭シャンプー」だの「緑茶ソープ」だのそういうのが目白押し状態でした。
まさかの火山灰石鹸まであったのでびっくりです。かかとクリームもありましたね。
実はあれ系のピーリングジェルにお世話になってます。感動です。


【ちょっとこれは・・・・・・】


・ケツが痛い
若干マイルドな表現になってます。
薬湯にはいろんな刺激成分が入っているので、皮膚の薄い部分には容赦なくピリピリしみます。
するとどうなるか。「大事な部分」が大変なことになります。
肩までつかると大変です。顔にお湯をかけた日にはもっと大変なことになります。
つまり全身が軽度のハバネロ○ナニー状態なわけです。
(参考ですがとんでもない下ネタです:
http://news4u.blog51.fc2.com/blog-entry-827.html



あと温泉ではありませんが、足つぼマッサージをお願いしてもらいました。
その筋の人は違います。


足を触るなり


「ストレスありますね」


「肩こりですね」


「運動不足ですね」



ズバズバあてられました。
東洋の神秘にはかないません・・・・・・。

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「クリスマスを廃止する」ことは可能か

昨日twitterでもちょっと触れたんですが、思うところがあるのでブログにまとめる。


要は、「クリスマスを廃止するコピー」を考えることに非常に納得がいかないということです。



以下、自分のツイート。

いくつかリプもいただきました、ありがとうございます。


@zeromoon0 零-月
#クリスマスを廃止させるコピー コピーっていうのは人を幸せにするためのものなのだと思うので、こういうお祭りをを妬んだり僻んだりするコピーを考えるのは嫌だなぁ。妬みを正当化するから一人ぼっちになっちゃうのに。


@zeromoon0 零-月
#クリスマスを廃止させるコピー についてもうちょっと。どうせなら「誰でも楽しくクリスマスを祝うコピー」と考えたほうが楽しくなるじゃん。惨めな感情でもプラスの言葉にすることがコピーの醍醐味だと思うんだよね。



もっと言いたいことを言うならば、実際タグ検索をして並ぶ言葉がとても感じ悪いものばかりだったというのもある。やれ「サンタが逮捕」だの「トナカイ死んだ」だの「リア充史ね」だの「楽しくない日」だのいろいろ……。


表現方法っていうのにはいろいろあって、例えば音楽だったり絵だったりダンスだったりいろいろあるわけ。その中でも一番誰でもとっかかりやすいのは「言葉」の分野で、それこそ詩を書いたり小説を書いたりコピーを考えたりするのは誰でもできるし、一番すそ野が広いと思うんだ。

だからこそ、コピーというものは誰でも考えられるものを作ってはいけない、というところがあると思う。昔の歌論書なんかを見ても、「和歌とは風流な言葉で書くもので、俗な言葉で書いてしまえばそれは風流ではない」なんて過激な論評を出していた。これは全くその通りだと思うし、「ありのまま」の言葉をつづればいいと思っている詩は小学生の感性だけで十分だと思う。大人の世界の詩は、風流な言葉を使わないと価値がないと思うわけ。

「ガタガタ言うなよ、コピーごときで」っていう理由はこれ。
誰でも参加できるということは、それだけ俗でコピーとは程遠い言葉が並ぶ可能性が十分にあるということ。
音楽や絵よりも簡単に参加できる以上、質が下がることは誰でも予想できるはず。

そりゃタグ検索の中にはいい言葉もありますけど、大体は上記した通りのものばかり。
一番の問題点は「これを読んで誰が得をする?」ってこと。


そんな史ねだの寂しいだの爆発しろだのそんなルサンチマンに溢れた言葉を大量生産させちゃだめだと思うんだよね。一応お祭りだよ? お祝いの日なのにそんな言葉を使っては本当にダメになってしまう。

実際聖夜じゃなくて性夜だのイルミ嫌いだのいろいろ言うけど、断言するよ。
クリスマスに惨めで暗い気分になるのは、普段から寂しいからだとしてもさ、


それはクリスマスのせいではない。

そして愛し合う恋人たちのせいではない。


人の不幸を願うようなコピーや、人の幸福に水を差すようなコピーを考えるのはよくない。


それを面白がって茶化すのも、少しどうかと思うのね。


そんなことを言って人の足を引っ張っているうちは、幸せはやってこないと思う。


「俺仏教徒だから」っていう返しも嫌い。
仏の教えの何を知ってるって言うんだい? 仏は愛し合う恋人を憎めなんて言ってるのかい?


この「クリスマス中止問題」についてはもう少し時期が近付いたらもう一回記事にすると思う。
その日までしーゆー。

最近のこと

ピグライフばっかりやってるわけじゃないよ。



と言いたいのですが、本当にピグライフばっかりやってます。


他に特に何にもやってないのに体がガタガタですよ困ったですよもう。



朝三時に起きてTDLに強行軍して、疲れているわけじゃないんだからね!

読書感想文を書くときに本を全部読まなくてもいい方法

(´・ω・`)やぁ。



前回のところで書いた「本を全部読むな!」について少し書いていくよ。

メモの準備はいいかい(´・ω・`)?



さて、読書感想文を書くときに一番困ることと言えば、

「本を全部読まなきゃいけないこと」だと思うんだよね(´・ω・`)



そもそも普段から本なんか読まないから読み方からわかんない!

そんな人が結構多いはず(´・ω・`)


今回はそんな人を対象にしていくよ。



ドラえもんの話の中に「人間ブックカバー」っていうのがあるんだけど、

その中にこんなフレーズがある。



「でもねえ……、こういう本は手にとっただけで気が重~くなって…。」


「ページをめくっただけで頭がズキンとして…。」


「二、三行よむと、目がまわり始めて…。」


「一ページもよまないうちにねむっちゃうのね。」



これはのび太が読書感想文の宿題のために本を読もうとしているシーンだけれど、

まったく字ばっかりの本を読むことの苦痛をうまく表しているじゃないか(´・ω・`)



さて、のび太はこの後ドラえもんの道具でこのピンチを切り抜けるわけなんだけど、

ドラえもんのいない君たちはどうすればいいのか(´・ω・`)



ずばり、最初の通り「本を全部読むな!」だよ(´・ω・`)



ミソは「全部読まない」というところ(´・ω・`)



どうしても本って、最初から最後までひっくり返して読まなきゃいけないような気がするけど実はそんなこともなくて、最後から読んだって構わない。


最近あとがきから本を読むって人もいるけど、まさにそれでもいいわけ。

最初から読まなきゃいけないなんて法律も何もないんだから。


というわけで、最初のページだけ頑張って読んだら

一気にお終いのページに飛んでみよう。




例えばミステリで有名な松本清張の「ゼロの焦点」の最初のページ。


「板根禎子は、秋に、すすめる人があって鵜原憲一と結婚した。」


そんでお終いのページに一気に飛ぶとこう書いてある。


「私は、あの海の下に、家内の墓があると思っています。」




何があったんだよ(´・ω・`)

最後禎子死ぬのかよ? 何なのよ?


これはミステリだから極端だけど、読書感想文用の本だと始まりと終わりの文だけで

その間の内容が想像できると思うんだ。


最悪、その間の想像を読書感想文として書いてみて、

実際に合っているかどうか答え合わせの意味を込めて本を読んでみると

すこーし、楽しくなると思うんだ(´・ω・`)


よく漫画とかで、最後の展開だけ冒頭で紹介して、

その過程を本編でじっくりなんていう展開があるじゃないか。

有名どころだと、「火垂るの墓」とか、そんなの。



どうしても本を全部読むのが嫌だったら、まずは初めの部分と終わりの部分だけ読んでみよう。そして気にならない部分はどんどん飛ばして読んでしまおう(´・ω・`)



(´・ω・`)!?


そう、飛ばして読んでも構わないんだ。


この「飛ばし読み」はちょっと難しいかもしれないけど、

読書が苦手だっていう人は一度試してみてほしい。


例えば、主人公が喋ってそうな部分だけ読むって決めたら

その部分以外は読まない。適当に流す。

そして主人公の台詞っぽいところだけじっくり読む。


そして適当に物語をつなげてみる。

あとは、つなげた物語が正しかったか答え合わせをするだけ。



実は、この方法で読むと最初から読むより速く読むことができるのね。

だって、ネタがわかってるんだもの。

じっくり考えながら読む必要がなくなるわけ(´・ω・`)

あとは「どの部分が感想文に使えそうか」って考えながら字を追うだけでも

全然違ったものになるはずだよ。



別にこれは方法論のひとつであるわけで、

もっと自由な読み方だって存在してもいいと思う。


ただ、ひとつ言えることは


「最初から最後まで読むだけが読書じゃない」っていうこと(´・ω・`)



読めない展開にハラハラするのもよし、

あらかじめ結末を知っておいてニヤニヤしながら読むのもよし。


騙されたと思ってこの方法で本を読んでみてほしい(´・ω・`)




次回は「あらすじは書くな!」かな?

それじゃ、また(´・ω・`)

駄文ということ

駄文駄文というけど、結局ブログとかに晒して

「見てみてー」という行為は、一体何なんだろう。


謙遜のようであり、実は逃げの口上のようでもある。


実際本当にへたくそで駄文で見せる価値がないと思うんだったら

こっそり仕舞うか、びりびりに破いて捨てたりするわけ。


それをフっとネット上にアップして、恥をさらし続けるか

それが炎上して大変なことになっちゃう。


だからこそ思うんだけど、やっぱり紙に鉛筆で文章を書くって言うのは

とっても大事なことだと思うんだよね。


努力論や根性論でもなんでもなく、ちゃんと根拠もある。

まずは、自分の足跡を残すことで成長を確認できること。

人は過去の過ちを繰り返しがちなので、痛々しい過去の文章を残しておくことが

後々の文章構成力にかかってくると思う。


もう一つは、安易に捨てにくいということ。

どうしてもネット上やPC内に保存したデータだと、削除しやすい。

気に入らないからとすぐ捨てることができる。これが問題。

やっぱり手が疲れてしまうのを防ぐために、どうすれば効率よく

説明できるのかという考えが大事である。


文章って長ければいいと思ってる人多いけど、実はそうでもないからね。


PCなどで手軽に文章を書ける環境にあると、文を長く書きがちだけど

実はそれは非常にわかりにくい。でもわかりにくいことがわからない。



だからなんだって言うと、安易に「駄文」だのへりくだりはやめたほうがいいってこと。

ネットに公開するんだから誰かに見てもらってることが大事。

このブログにやってきた人が何らかのメッセージを掴むことができれば

それは時間の無駄にはならないけれども

ただの独りよがりの自分語りだけだったら本当に無駄になっちゃう。



というわけで、一応ある程度のプライドは持っています。

でもまだ上を見上げたら登れる場所がたくさんあるので、

そっちに行ってみたいと思います。

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